鳥取大学の伊福伸介教授(鳥取大学大学院工学研究科)が開発したキチンナノファイバー。前回、プラスチックの特性を劇的に発展させる可能性や、保湿効果・抗炎症作用といった生理機能などを紹介した。伊福教授らによる最新の研究では、“カニ殻由来の新素材”の育毛・発毛効果が明らかになりつつある。
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鳥取県はカニの漁獲量全国1位を誇る。2位の北海道の3,000㌧に対して、鳥取県で水揚げされるカニは4,300㌧。圧倒的な規模の産地だ。鳥取県では2015年から高品質なズワイガニを「五輝星」という地域ブランドで売り出し、初値では130万円がついた。
一方で、カニの名産地にも課題はある。乱獲によるカニの漁獲量の減少が続いているのだ。2018年のカニの漁獲量は30年前の4分の1程度。カニ漁師には、カニのさらになる高付加価値化が求められていた。
こうした背景のある鳥取県で誕生したのが、多機能素材であるキチンナノファイバーだ。新素材開発の舞台裏には伊福教授の地域振興の志があった。
博士の学位取得後に京都大学でセルロースナノファイバーを研究していた伊福教授は、セルロースとカニの殻の成分であるキチンの構造が似ていることに着目し、“地元のカニを中心とする産業圏”を構想して研究に着手。2008年に、キチンナノファイバーの抽出に成功した。2016年に大学発ベンチャー企業の「マリンナノファイバー(鳥取市)」を設立してからは、キチンナノファイバーを機能性原料として販売し、地域資源を活用した新素材の普及に努めている。
キチンナノファイバーを活用すれば、高い透明度と強度をもったプラスチックの製造が可能となる。機能性コーティング・接着剤への添加剤としても使用できるほか、医療用途でも、水になじみやすい性質と保湿効果や抗炎症作用を活かしたアトピー性皮膚炎や創傷の改善剤の開発が期待されている。
直近の研究成果としては、育毛や発毛という切り口での可能性が示唆されている。2018年10月に「FRAGRANCE JOURNAL(フレグランスジャーナル社)」に投稿された論文について伊福教授は、「保湿効果や抗炎症作用を検討するために、マウスにキチンナノファイバーを塗ったところ、マウスの毛が生えてくるという意外な結果がきっかけ」と話している。
同論文においては、キチンナノファイバーを改良した表面脱アセチル化キチンナノファイバー(SDACNF)が用いられた。「キチンは脱アセチル化することでキトサンと呼ばれる別の物質になるが、抗菌性と脂肪吸収抑制を狙って表面のみキトサンに変え、キチンナノファイバーとキトサンの両方の良いところをもった物質を作る狙いがあった」と、伊福教授は実験の意図を解説する。
SDACNFを剃毛したマウスの背に塗布し、12日後に体毛の長さを測定したところ、育毛剤の成分として実用化されているミノキシジルを2倍ほど上回る効果が観測された。さらに、細胞培養による実験では、SDACNFがヒト毛乳頭細胞の「FGF-7」の産生を促進することも明らかになった。「角質細胞増殖因子」と呼ばれるFGF-7は、毛母細胞に働きかけ、毛量および毛髪の太さの改善に不可欠である成長因子と考えられている。
SDACNFが育毛・発毛になぜ効果があるのか、くわしいメカニズムはいまのところ解明されていないが、甲殻類アレルギーに関わる原因物質が十分に取り除かれていることはすでに証明されているそうだ。伊福教授によると、「毛髪の太さのおよそ1/10000の微細なSDACNFが毛包深部まで到達して毛根を刺激している可能性があるが、作用機序については検証の必要がある」とのこと。
また、ミノキシジルは「血圧降下剤」であり、副作用の懸念もある。SDACNFが実用化されれば、アレルギーや副作用のリスクがない“夢の育毛剤”が誕生するかもしれない。
廃棄されてきたカニ殻を市場ニーズに対応させていくことは、水産加工業など関連業種の新たな収入に直結する。特産品であるカニを中心とする産業の創出。キチンナノファイバーは、鳥取県の未来を担う新素材として注目されている。