身近にある食品で、老化に伴う聴覚機能の低下を遅らせることができるかもしれない。農研機構では、マウス加齢性難聴の予防につながる食品の探索を進めてきた。現在、乳酸菌H61株のほか、シュンギクやキンカンなどの有効性を確認。今後、ヒトでの効果検証に向けて研究を進めていく。中心となって研究を推進してきた大池秀明上級研究員(食品研究部門食品健康機能研究領域)に話を聞いた。
「1日3食の食事による健康効果を高める“時間栄養学”と、老化という長い時間軸で考えたときの食事の健康効果について研究している」と話す大池上級研究員は、“食による健康づくり”を基本方針として掲げており、2017年には「食品の有効な摂取に向けた体内時計調節に関する研究」という研究テーマで、若手農林水産研究者表彰を受賞した実績を持つ。
リンク:農研機構「時間栄養学(Chrono-nutrition)」
大池上級研究員は2013年以降、“老化予防の研究”の一環で、加齢性難聴の予防に役立つ食品を探索してきた。「加齢に伴う聴力の衰えは、ヒトやマウスを含む動物全般で見られる老化現象だ。通常、音は高い領域から聞き取れなくなっていく。聴力を調べる試験なら、低侵襲かつ短期間で結果が得られる」というのが、研究対象として加齢性難聴を選定した理由の一つだ。
加齢性難聴は、認知症との関連も指摘されている。「聴覚による刺激がなくなったり、そのことで人とのコミュニケーションがうまく取れなくなったりすると、認知機能は徐々に低下していく。原因と結果という関係だけでなく、難聴と認知症には神経細胞が死滅して起こるという共通点もある」と、大池上級研究員は解説する。
スクリーニングの対象とした8種類の乳酸菌と42種類の農産物をマウスに3ヵ月摂取させる試験を行なった結果、「乳酸菌H61株」「シュンギク」「キンカン」に、加齢性難聴を有意に抑制する効果のあることがわかった。最も大きな効果が得られたのが、農研機構で管理されている乳酸菌H61株だ。大池上級研究員が“老化予防乳酸菌”と呼ぶ乳酸菌H61株の機能性については、マウスの老化に伴う脱毛や骨密度低下の改善効果などが、これまでに同機構から報告されてきた。
乳酸菌と農産物の抗老化作用を比較すると、乳酸菌群の効果がより高いという傾向が得られている。大池上級研究員によると、「老化は炎症で進む。仮説の段階だが、乳酸菌が腸の免疫細胞に取り込まれ、腸内環境や免疫シグナルが改善した結果、炎症反応が治まり、聴力の低下が抑制されていると考えている。一方の農産物については、抗酸化作用に伴う炎症抑制の結果ではないか」とのことだ。
スクリーニングの結果を受け、乳酸菌H61株をマウスに6ヵ月摂取させる試験が実施された。マウスが聞き取ることのできる音量と音の高さを評価したところ、乳酸菌H61株を与えたマウスは、通常のエサを与えたマウスより老化しても聴力がいいことが確認されたという。動物における聴力低下の予防効果を裏づける結果となっている。
一連の研究で、大池上級研究員は加齢性難聴の進行と相関している血液中の代謝物も発見した。「ヒトを対象とした老化の研究には時間がかかる。20〜30年かけて、各種機能を追跡していくのは容易ではない。難聴に関与している血中成分をヒトでも使えるか検証を進め、将来的には食品開発に応用できるバイオマーカーの確立を目指している」と、大池上級研究員は研究結果の意義と今後の展望を解説する。
大池上級研究員は現在、乳酸菌H61株によるマウスの脳機能低下の予防効果や、ヒトにおける加齢性難聴の予防効果を検証する方法の開発などを計画している。そのほか、ヘッドホンを介して大音量で音楽などを聴くことで聴力が低下する「ヘッドホン難聴」への効果の検証も視野に入れているそうだ。
「ヒトにおいて難聴の予防は、認知症を予防する最大因子という報告がある。高齢期のQOL向上や認知症の発症遅延に貢献するため、今後も研究を続けていくつもりだ。難聴と相関関係のある耳鳴りの予防・改善に応用することも可能となるかもしれない」と、大池上級研究員は最後に話してくれた。